システムエンジニアとして約20年間、現場で働いていた僕ですが、ある日、会社に呼び出され
社長・本部長・部長の3人に囲まれ、社長から
「お前、部長になれ」
と言われました。
人見知りの僕が部長ですか・・・向いてないと思いますよ・・・
本記事では、人見知りの僕が部長になるまでの体験談を記事にしています。
目次
システムエンジニアとしての経歴
【新人時代】インフラエンジニアとしてネットワーク知識を学ぶ
社会人のスタートは人材派遣会社のような会社(正社員雇用)に入社しました。
社員数は数千人の大きな会社です。営業職と技術職に分かれており、営業が仕事を取ってきて、技術者は営業が取ってきた客先で働く、そんな会社です。
新人だった僕は、大手の通信企業で働くことになり、そこでネットワーク環境の構築作業をしていました。
知識ゼロの状態だったため、作業のほとんどが「ねじりっこ」を使って配線を綺麗にする、そんな単純作業です。
なんのためにネットワーク環境を構築しているのか、具体的にどんな作業をしているのか、まったく把握できていませんでした。
知識のなさを痛感していたので、通勤時間や空き時間を利用してシスコシステムズの認定資格「CCNA」の勉強をしてました。
仕事で大失敗、会社をクビになる?
「ねじりっこ」で配線を綺麗にする現場の次に配属されたのは、認証システムのネットワーク構築環境の現場です。
この現場では認証サーバーの操作を担当していました。ただ正直、何をしているのかよく分からない状態で作業していました。
そんなある日、サーバーの設定ミスをしていまい、これまでのデータをすべて消してしまいました。
これは会社クビになるかも・・・
そんなことを考えながら上司に報告。僕がサーバーのデータを消してしまったため、その環境を戻す作業に1週間かかり、さらにネットワーク環境を使う予定だったお客様も全部キャンセルするはめに。
あーやっぱりクビだーーー
改めてそんなことを考えながら怯えていました。
しかし、その時の上司(僕の会社の上司ではなく、現場で一緒に仕事をしているお客様)は僕のことを怒ることはせず「失敗は誰でもする、それより失敗した後どういう行動を取るかが大切だよ」と教えてくれました。
確かに僕は失敗した後、何もせず、ただただ怯えていただけです。失敗してもいい。ただ失敗したら、その失敗をどう取り戻すのか、その行動の大切さをここで教わった気がします。
転職を決意
新人研修のとき少しだけプログラミングを経験、そのとき「プログラミングは楽しい」と感じました。
ネットワークエンジニアも楽しいはずですが、当時の僕は「ねじりっこ」で配線を綺麗にするのが主な仕事だったため、楽しさを感じることはできませんでした。
配属されたのはネットワーク環境構築の現場。営業には開発やりたいです。と何度か相談しましたが、開発未経験で新人だった僕の声には耳を傾けてくれず説得されられる。これの繰り返しです。
僕は転職を決意、そして開発未経験の僕を採用してくれた中小企業に転職しました。
【若手時代】Webアプリケーション開発を中心に活躍の場を広げる
中小企業に転職しWebアプリケーション開発を中心にプログラマとして仕事をすることに。
以前所属していた会社は数千を超える大きな会社でしたが、人材派遣がメインで社員同士のつながりはまったくない会社だったため、社員同士のつながりがありそうな会社を選択しました。
とはいえIT業界の中小企業です。客先に常駐する働き方がメインの会社であることには変わりありません。ただ社員の声に耳を傾けてくれそうな会社を選びました。現にプログラム未経験の僕を採用し、希望通りの現場に配属してくれました。
プログラマの仕事はやりがいを感じ楽しかったです。「Java」や「C#」「SQL」「JavaScript」などを使う案件が多かったので、その都度 本屋で分かりやすそうな本を探し勉強していました。
炎上案件を経験する
プログラマとして経験値を積み、少し自信がついてきた20代後半に炎上プロジェクトを経験しました。
現在は働き方改革のおかげで残業できる上限値(36協定)が低くなっていますが、当時はまだ上限値が高かったため、過労で倒れてしまうのではないかと思うくらい働かされました。
うつ状態になる
僕は炎上プロジェクトに約1年間いました。この1年間のストレスで背中にできものがたくさんでき、髪の毛が抜け、自律神経は乱れ、肉体・精神ともにボロボロの状態、たぶん精神科や心療内科を受診していたら「うつ病」と診断されていたと思います。(人と話すのが怖くなり、電話を取るのも恐怖に。憂鬱な気分が続き、ちょっとしたことでよく泣いてました。)
改めて働きすぎるのはよくない。このことを強く痛感した時期でした。
【中堅時代】リーダーとして任される仕事が増える
炎上プロジェクトを経験し、二度と炎上プロジェクトにはかかわらない(現場を抜けさせてもらう、それができなければ退職する)ことを誓い仕事を続けていました。
年齢は30歳を超え「主任」という役職になったことで、プロジェクトリーダーやサブリーダーの立ち位置で仕事をすることが増えてきました。
昇進できずに悩む日々
出世欲はない方でしたが、生活するためにはお金が必要です。
現状の給料だと将来子供を大学に行かせることができるのか?不安しかありません。
給料を上げたい = その近道は出世すること
そう考えていたため、30歳までに「主任」、35歳までに「係長」、40歳までに「課長」というキャリアプランを描いていました。
しかし、30歳で「主任」になることはできましたが、35歳を過ぎても「係長」に昇進することはできずに悩む日々。
昇進がある4月と10月は毎年のように昇進できずに落ち込み、他の人の昇進を素直に喜べない、そんな自分を「小さい人間だな」「性格が悪い」と責めるようになっていきます。
2回目の転職を試みるも踏みとどまる
「係長」に昇進できず、悩んでいる時期を過ごしているうちに、転職を考えるようになり、実際に転職活動をしていました。
仕事をしながらの転職活動のため、5社に絞って活動、その内、2社は最終面接まで辿り着きました。
ただ、今の会社に不満はありません。昇進できないだけです。昇進できないのは自分の力不足です。
悩んだ結果、最終面接まで辿り着いた2社は辞退することに。もう少し今の会社で頑張ってみようと思っていたら、次の年に「係長」に昇進しました。
【ベテラン時代】プレイングマネージャとして活動する
年齢は40歳を過ぎ、役職も「課長」となり、自分の仕事をこなしながら部下管理をする。気がつけば責任のある仕事が増えてきました。
部下管理の難しさを痛感する
僕が所属している会社は中小企業です。そのため、課長になっても客先に常駐して仕事をしています。(IT業界の中小企業ならよくある働き方だと思います。)
客先で仕事をもらい、自分の会社のメンバーで案件をこなしていく形です。
僕はお客様との打ち合わせ(主に要件定義)をメイン作業としていたため、設計や製造は配下メンバーに任せていました。
スケジュール通りに作業をこなしてくるメンバーはもちろんいますが、スケジュール通りに作業をこなしてくれないメンバーもいます。
作業見積もりができていないのか、僕から見ると全然終わっていないのに、定時であがる日々。心配なので「スケジュール通りに遅れないで作業できる?」と質問しても「大丈夫です」と答えるので、そのまま見守ることに。
しかし、スケジュールの期日が近づいてきても全然終わりが見えてきません。結局、スケジュール通りには終わらず、大幅な遅れをみんなでカバーする結果に。
そんなことを繰り返し、部下管理の難しさを日々、痛感しています。
体調を崩し選択の自由がないことに気づく
課長職になり責任のある仕事が増えてきたことで、部下管理など上手くいかないことが増えてきました。
僕は人見知りでコミュニケーション能力が低いです。それは学生時代からであり自覚しています。(友達を作るのが苦手で、人と会話をするのも苦手です。)
課長職になってからも、部下との面談や飲み会など、いつも上手にできずに反省ばかりの日々です。
仕事ではコミュニケーション能力が低い分、コミュニケーションではなく実績で信頼を勝ち取ることを意識していました。
具体的には、任された仕事は必ず期日内に終わるようにする、難しい仕事や面倒な仕事でも嫌な顔をせず、積極的に行うなど。自分の苦手分野であるコミュニケーション能力をカバーするように心がけていました。
部下管理が上手にできず、プロジェクトもうまく行かず、夜寝付けない日々が続いていると、胸に突き刺さるような痛みを覚えるようになり、体調を崩していきます。
このとき「会社を辞めたい!」「休職したい!」と強く思いました。しかし僕が会社を辞めてしまうと、家族はどうなるのか。子供の大学資金はどうなるのか。いろいろ考えると「会社を辞める訳にはいかない」という結論に毎回、辿り着きます。
このとき「選択の自由がない」ことに気づきます。このときの年齢は40代前半です。まだ転職という選択肢はあるかもしれません。
しかし、50歳、55歳と年齢を重ねた時、同じ状況になったら転職という選択肢はあるのでしょうか。
会社員としての収入に頼っていると、今後、年齢を重ねたとき「選択の自由がない」この言葉を強く感じました。
早期退職を目指し副業に力を入れ始める
40代前半で体調を崩し「選択の自由がない」現実を知った僕は、本格的に副業に力を入れ始めました。
副業は30代後半からやっていましたが、あくまでも副業であり、本業メインという考え方でした。しかし、40代前半で体調を崩したことで、早期退職できるくらい副業で稼げるようになれば「選択の自由を手に入れられる」のではないかと考えるのになっていきます。
僕の話す「選択の自由」とは、仕事を辞めるためのものではありません。例えば、会社員だけの収入の場合、50歳で会社を辞める選択肢はできません。会社を辞めてしまうと収入がなくなるからです。
しかし、副業と会社員の収入があり、副業だけでも生計を立てられるのであれば、50歳で会社を辞める選択もできます。
50歳になって会社を辞める・辞めないの選択ができるということです。
何歳になっても「選択の自由を手に入れたい」これが僕の目標です。
そんな僕が部長になりました
早期退職を目指し副業に専念していたのですが、ある日、会社に呼び出され
社長・本部長・部長の3人に囲まれ、社長から
「お前、部長になれ」
と言われました。
僕は人見知りでコミュニケーション能力が低いから、部長は向いてないと思いますよ。と話しましたが、それはやっていけば慣れてくるとのことで「部長をやる覚悟はあるか?ないなら断っていい」
ただ社長・本部長・部長が話し合って、お前が適任だという結論になったということらしいのです。
部長なんてできる気がしませんが、そこまで言ってくれるのであれば、チャレンジしてみます。ただお三方がやっぱり違うなと思ったら、いつでも降格にしてください。
そう答えて部長になりました。全然自信ないです。ただ自分にやれることは精一杯頑張っていこうと思っています。